エンタメ業界はいつの時代も若者の憧れだ。だが実際に働くとなると長時間労働をはじめ、非常にストレスフルな環境であることもよく知られている。もちろん、今もっとも盛り上がりを見せるゲーム業界とて例外ではない。
作家のJiniがさまざまな角度からゲーム業界を読み解く連載「ゲームジャーナルクロッシング」。今回はそんな業界の「光と影」に切り込んだ著作『リセットを押せ: ゲーム業界における破滅と再生の物語』(著:ジェイソン・シュライアー、訳:西野竜太郎)を紹介する。
「働くこと」「ものを作ること」の難しさ、そして楽しさはどこにあるのだろうか。
Jini
ゲームジャーナリスト
note「ゲームゼミ」を中心に、カルチャー視点からビデオゲームを読み解く批評を展開。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラー、2020年5月に著書『好きなものを「推す」だけ。』(KADOKAWA)を上梓。
ゲームゼミ
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「なぜ」「どのように」ゲーム業界にブラックな環境が生まれるかを明らかにする
『リセットを押せ:ゲーム業界における破滅と再生の物語』著:ジェイソン・シュライアー、訳:西野竜太郎(グローバリゼーションデザイン研究所)
今最も注目されるエンターテインメント産業といえば、ビデオゲームだろう。世界で30億人、つまり全人口の約半分がゲーマーという時代であり、市場規模は約22兆円にものぼる。
その上、MicrosoftによるActivision-Blizzardの686億ドルでの買収などテックジャイアントによる投資も続き、ゲーム市場は今後さらなる成長も期待されている。陳腐な言い回しとなるがゲームは“たかがゲーム”ではもはやない。世界経済を鑑みる上でも全く無視できない市場なのだ。
しかし、光が強く当たるところでは影もまた濃くなるもの。ここ数年で多くのゲーム企業における労働環境の問題が持ち上がった。2010年代後半からはUbisoft、Riot Gamesなど世界的なゲーム企業の社内でセクシャルハラスメントが横行していたことが明らかになり、Microsoftに買収されたActivision-Blizzardもカリフォルニア州の行政機関により訴訟を受けた。同社では他にも、パワハラや無給の長時間残業、予告なしの解雇(レイオフ)などゲーム業界に蔓延する問題が明るみに出ることとなった。
では、具体的にどうしてマネーがジャブジャブ流れ込むゲーム業界にこうした「影」が広がっているのか。どのようにセクハラや長時間労働など劣悪な労働環境が常態化し、それによって社員はどんな心理状態に置かれるのかまでは、ほとんど知られていない。
今回紹介する本『リセットを押せ: ゲーム業界における破滅と再生の物語』は、ただゲーム業界の労働環境が酷いという事実だけでなく、なぜそうなってしまったのかという過程や原因を、長年ゲーム業界を取材し、徹底して当事者の声を拾うことで明らかにするルポタージュだ。何億儲かった、何兆投資された、次はメタバースだXRだと、うずたかく積まれた札束の裏にある現実を、その業界を土台で支え続ける労働者の立場から明らかにする。
1年間で1000人がリストラされる衝撃的な業界の「常識」などを明かす
本書の著者、ジェイソン・シュライアーは35歳にして、業界内トップの知名度を誇るゲームジャーナリストだ。
2009年にニューヨーク大学を卒業すると、2011年にはゲームメディアのKotakuで勤務を始め、2013年には労働環境に注目した記事「From Dream To Disaster: The Story Of Aliens: Colonial Marines(夢から災厄へ:『Aliens: Colonial Marines』の物語)」を公開。2017年には初の著書となる『血と汗とピクセル:大ヒットゲーム開発者たちの激戦記』を発刊している。なお、こちらも『リセットを押せ』と同じく合同会社グローバリゼーションデザイン研究所から邦訳版が出版されている。
約10年もの間、シュライアーは極めて果敢なジャーナリズム活動により、多くのゲーム業界における「影」を明らかにした。『血と汗とピクセル』においては『アンチャーテッド4』『Destiny』『ウィッチャー3』など名だたる大作の開発現場にまで踏み込んでおり、事情を知らないゲーマーたちを驚かせた。
元々、ゲーム業界ではNDA(秘密保持契約)を結ぶ関係上、社員は簡単に内部事情を明らかにすることができない。同時に、ゲームメディアも企業が広告スポンサーになることから業界内部の問題に深く踏み込むことは構造的に困難であり、結果的にゲーム業界の問題は業界外に明らかになることは少なかった。
シュライアーはこうした因習が残るにもかかわらず、ゲーム企業に飛び込み、当事者に直接取材を重ねた。中には「出禁」にする企業もあったようだが、彼は徐々に業界内にも受け入れられ、現場のクリエイターのみならず、現場の指揮を取るカリスマディレクターにも直接取材する機会を得ている。
『リセットを押せ』はそんなシュライアーの2作目となる著書だ。非常に実直な構成になっており、イントロダクションではダラダラとした前提知識よりも早く、ゲーム業界の人間は5年間に平均2.2社勤めている(つまり5年で1回は離職を余儀なくされる)とか、1年間で1000人リストラされているといった衝撃的な業界の「常識」を明るみにし、すぐに第一章が始まる。
本書は全部で9章+エピローグという構成で、400ページを超えるかなりのボリュームだ。『血と汗とピクセル』と比べても各章のボリュームも大幅に増えており、より長く、深く取材したことがうかがえる。文体は当事者の声がそのまま口語体で反映され、翻訳も読みやすい。ただし、日本であまり知られないような北米のゲームタイトルが頻出するので、その都度、ウェブ検索などで調べることをおすすめしたい。
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誰もノーと言わない(言えない)あの企業
By Coolcaesar - Own work, CC BY-SA 4.0,
本書は新たな発見や驚きに満ちているのだが、その中でもとりわけ興味深いと思った章を3つばかり紹介したい。
最初に紹介したいのは、第1章「日雇い職人」。この章では『Ultima Underworld: The Stygian Abyss』、『System Shock』、『Deus Ex』などの作品を手掛け世界的に評価の高いゲームデザイナー、ウォーレン・スペクターが主人公となる。
左がウォーレン・スペクター。ちなみに右は『ICO』『ワンダの巨像』などで知られるゲームデザイナーの上田文人氏
スペクターは日本でこそあまり知られていないが、北米においては非常に知名度の高いゲームデザイナーだ。とりわけ氏の集大成ともいえる作品『Deus Ex』は、戦闘から会話まで極めて豊富な選択肢が用意されたRPGとして評価が高く、各メディアによるレビューは平均して90点以上を獲得。発売から20年以上が経つ今もなお、名作との呼び声が高い。
だが氏は2000年にその『Deus Ex』を完成させて以降、10年もの間音沙汰を断っていた。第1章はそんな「成功した後」のスペクターが、あのウォルト・ディズニー・カンパニーとのゲーム開発に挑むものの、自社のブランドイメージへの固守とビデオゲームへの無理解からディズニーとの軋轢に苦しむ姿が描かれる。
特に、ディズニー幹部に「ノーって、何だい?誰もディズニーにノーって言わないんだよ」と言われたエピソードは衝撃的。(筆者自身も実体験にあるが)「超・一流企業」と働くことの本当の苦労、そして人気IPをゲームに落とし込んでいく難しさなどは、大変興味深いものだった。
ベテランクリエイターが「面白くないゲーム」を生み出すことになる理由
次に紹介したいのが、第4章「消えたスタジオ事件」。本書は基本的に「頑張ってゲームを完成させたのにすぐクビになった」とか「社長や株主の無茶ぶりに振り回されて残業しまくった」といった苦々しいエピソードのオンパレードだが、その中でもこの章のエピソードは本当に恐ろしい。
本章では2K(テイクツー)というアメリカのゲーム企業グループの2Kマリンを舞台に、親会社からどう調理しても面白くなりそうにない企画を押し付けられ、さらに応援として呼ばれた他のグループ企業は手一杯で双方の関係が悪化。その結果、自分たちのスタジオが「消える」という信じがたい結末を迎える(なぜ「消えた」のかは実際に読んで確認されたし)。ゲーム業界における杜撰極まる経営と軽視されきった雇用への意識を、ありありと描いている。
筆者は偶然にも2Kマリンが本章で開発した作品『The Bureau: XCOM Declassified』をプレイしていて、そのときは「あまり面白くないゲームだなぁ」という程度の感想しか抱かなかったが、何故ベテランのクリエイターが集まる企業でも「面白くないゲーム」が作られてしまうのか、その過程についてはよく知らなかったという人は多いと思う。
次ページ:下請けに徹する生存戦略も
下請けに徹する生存戦略も
最後に紹介したいのが、第9章「犠牲と解決策」だ。その章題通り、ここまで語られ続けた様々なゲーム業界における問題を解決するための各社の取り組みが紹介される。
特に興味深いものは、アウトソーシング専門企業のエピソード。大企業がプロジェクトごとに大量に社員を雇い入れ、それが終わると一斉に解雇するという一連のサイクルに囚われないために、あえて大企業の下請けに徹することで雇用を維持したまま安定した経営を可能にするという取り組みだ。
もちろん下請けである以上、自分たちで陣頭指揮を執って自由に作れるわけでないが、それよりも安定した給与と福利厚生の方が大切だというのは尤もである。
過酷な環境と生みの喜びに揺れ動くクリエイターたち
本書全体を通して感じたのは、創作とビジネスの両立の難しさだ。ゲームに限った話ではないが「便利なもの」「儲かるもの」ではなく、「面白いもの」「美しいもの」でビジネスを成立させることそのものが、まず難しい。何が面白く、美しいものかは全く定量化できないし、定量化できなければ予算も投じられず、現場は延々と働き続けることになる。また現場の中でも「面白さ」を巡って常に対立が起きかねない。
同時にそれは紛れもなく創作の醍醐味であり、実際どれだけ過酷な労働環境でもゲームを作ることを辞めない人間は多数いる。本書には無数のゲームクリエイターたちが登場するが(完全にゲーム作りを辞めてしまった人もいるものの)、その多くは次のステージで次のゲームを作ることを志す。哀れみなど不要、とでも言わんばかりに。
そうしたクリエイターたちの情熱を、一部大企業の経営者が搾取しているのも事実だろう。結局のところ、何故これほど簡単に社員を解雇できるのかといえば、すぐ代わりの社員を雇えるという確信があるからに他ならない。特に第4章「消えたスタジオ事件」、第5章「仕事中毒者たち」は本書でも最高に後味が悪い内容になっているが、それは大企業のあらゆる搾取にただクリエイターが耐えるか、祈るしかないからだ。
こうした創作とビジネスを両立する上での困難さを、実際に体験してきた無数のクリエイターから直接聞きだし、書籍にまとめたシュライアーの力量は本当にすさまじいものがある。大企業や有名クリエイターへの忖度は全くと言っていいほどなく、かといって偏ったアジテーションもない。極めて率直ながら誠実な報道に思える。
日本は無論、中国、韓国を始めとしたアジア、また南米にもゲーム産業は徐々に広がりつつある。こうした国々におけるゲーム産業は一体どのように成長し、また労働者の権利をどう守るべきか、今後改めて検討する必要があるだろう。